カスタマーレビュー
おすすめ度:
やる気になります!
(2007-03-04)
政治や政党に失望している若い人がきっと共感する「緑の人びと」の社会運動について熱いハートと冷静な視点で書かれています。
これを読むと「緑の人びと」の運動をはじめたいという気が沸々とわいてきます。
「緑の人々」の思想とその社会背景
(2005-12-26)
1935年に生まれ、朝日新聞、ドイツ海外放送、タイム誌等ジャーナリズムの世界で活躍した後、大学に勤務している、1960年代末と1981年に西ドイツに滞在した経験を持つ著者が、父母を亡くすという不幸の中で1983年に刊行した新書本。1970年代末に成立した、一般に「緑の党」と訳されるこの団体は、実際には既成政党に対する「オールタナティブ」を提起する「緑の人々」と呼ばれるべきであり、保守か革新かという従来の二分法にあてはまらない、産業社会否定思想を主張している。彼らはこうした考えに基づき、強制的委任、回転原則、透明性、特権否定、マイノリティの尊重、底辺民主主義(分権的・直接的)、巨大技術・巨大組織への「否」、「持つこと」の否定、反核、エコロジー、感受性重視等を掲げ、若く「余裕意識」を持った脱物質主義のインテリに支持された。1960年代末の「能弁な反抗」、1970年代の「沈黙の反抗」(大勢順応、犯罪・麻薬への逸脱)を経て、今や西ドイツの若者は「感情の蜂起」に至ったのである。本書2〜3章では、この70年代の若者の内面に生じた「静かな革命」の実態が詳細に論じられており、現在の日本を考える上でも示唆に富む。他方、この「緑の人々」は問い自体は正しくラジカルであるが、その答えにおいて多様・雑多であり、内部にまとまりを欠くという欠点をも併せ持っている。ヨーゼフ・フーバーはオールタナティブ運動を11潮流に腑分けしている(極右的なものも含む)が、それを培養基として「緑の人々」は生まれ、発展している。著者はこうした正と負の側面に目配りしつつ、「緑の人々」が諦めに抗して真摯な問いを提起し、政治を活性化させていることを、商業主義が未だ根強い日本と対比させつつ、評価している。一団体の内実のみならず、その社会背景を広く分析した本書からは、学ぶところは多い。
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やる気になります!
政治や政党に失望している若い人がきっと共感する「緑の人びと」の社会運動について熱いハートと冷静な視点で書かれています。
これを読むと「緑の人びと」の運動をはじめたいという気が沸々とわいてきます。
「緑の人々」の思想とその社会背景
1935年に生まれ、朝日新聞、ドイツ海外放送、タイム誌等ジャーナリズムの世界で活躍した後、大学に勤務している、1960年代末と1981年に西ドイツに滞在した経験を持つ著者が、父母を亡くすという不幸の中で1983年に刊行した新書本。1970年代末に成立した、一般に「緑の党」と訳されるこの団体は、実際には既成政党に対する「オールタナティブ」を提起する「緑の人々」と呼ばれるべきであり、保守か革新かという従来の二分法にあてはまらない、産業社会否定思想を主張している。彼らはこうした考えに基づき、強制的委任、回転原則、透明性、特権否定、マイノリティの尊重、底辺民主主義(分権的・直接的)、巨大技術・巨大組織への「否」、「持つこと」の否定、反核、エコロジー、感受性重視等を掲げ、若く「余裕意識」を持った脱物質主義のインテリに支持された。1960年代末の「能弁な反抗」、1970年代の「沈黙の反抗」(大勢順応、犯罪・麻薬への逸脱)を経て、今や西ドイツの若者は「感情の蜂起」に至ったのである。本書2〜3章では、この70年代の若者の内面に生じた「静かな革命」の実態が詳細に論じられており、現在の日本を考える上でも示唆に富む。他方、この「緑の人々」は問い自体は正しくラジカルであるが、その答えにおいて多様・雑多であり、内部にまとまりを欠くという欠点をも併せ持っている。ヨーゼフ・フーバーはオールタナティブ運動を11潮流に腑分けしている(極右的なものも含む)が、それを培養基として「緑の人々」は生まれ、発展している。著者はこうした正と負の側面に目配りしつつ、「緑の人々」が諦めに抗して真摯な問いを提起し、政治を活性化させていることを、商業主義が未だ根強い日本と対比させつつ、評価している。一団体の内実のみならず、その社会背景を広く分析した本書からは、学ぶところは多い。
