カスタマーレビュー
おすすめ度:
「身体を死んだ肉塊におとしめてはならない」
(2008-12-16)
イタリアのペルフェッティが開発した「認知運動療法」についての書籍です。内容としては理学療法・作業療法の範疇に入るのでしょうが、わたしのような門外漢にもわかりやすく書いてあって、とても面白く読めました。
筆者が、「これまでの知識をみな捨てなくては、この治療法を理解できない」とまで思った認知運動療法。これまでの運動療法の延長でなく、違った考えから生まれたその治療法は、筆者によればリハビリテーションルネッサンスと称されています。
本書の考え方は、現在の運動麻痺へのリハビリテーションが運動麻痺そのものへのアプローチというよりは、残された機能を代償的に日常生活に用いる練習になっていることへの批判があります。
では、「認知運動療法」とはどのようなものでしょうか。
簡単に言えば、「脳の中の身体」つまり運動のイメージを回復させることで、運動麻痺を回復させようというものです、
従来の運動療法と違う点は以下の命題に現れています。
>身体を死んだ肉塊におとしめてはならない
>身体をもの言わぬ物体として扱ってはならない
>身体を自動的に動く解剖標本として理解してはならない
>身体を刺激に反応する物体と解釈してはならない
筆者はこれらを「人間機械論」と論じ、「それは患者の脳を物体とみなし、患者の脳に思考を要求しない、セラピストにおまかせの治療のことだ」と批判しています。
そして、重要なのは、「世界に意味を与える身体を取り戻すこと」と述べています。
脳の刺激実験で有名なペンフィールドは外部から運動野を刺激して身体を動かしてみせましたが、患者たちはそれを自分で動かしている感じをもたなかったそうです。
その後ペンフィールドは「意思」というものに悩み、心身二元論、すなわち、魂が存在するという立場に変わっていったという話が興味深かったです。
他者によって手を動かされるのと、自分が手を動かすのとでは、大きな違いがあるようです。そして、運動麻痺で使われるべきは後者の感覚を取り戻すことである、そんなふうにこの本は述べています。
脳は損傷後も経験から再編成を行うことが可能であることから、患者の思考こそが重要であること、患者自身が、自分の身体について思考しなければ回復しないことに気づくことが第一歩と述べられています。
患者の、苦悩に満ちた一人称の記述に耳を傾けることが専門職に求められるといえそうです。
この本に書かれている考え方を読んで、ふだん意識しない身体への感覚を意識するようになりました。
卑近な例ですが、歩き方に意識を向ければ意識がつまさきまでのびてゆくような気がするし、歩き方など考えもよらなければ、そもそも足の運びなどに気を向けない。
意識することで、自分が認識する身体が広がって、より望ましい運動が行えるようになる。
読み手の身体意識も変えてくれそうな本です。
奇跡のリハビリってあるの?
(2008-05-04)
10年間のブランクの後、福祉業界に戻って最初に尋
ねたことのひとつが、変性疾患に対するリハビリは進歩
したのかということでした。先輩の答えは、「全然変わっ
ていない」でした。わたし達は、それこそ十年一日のご
とく、本書でいう伝統的な運動療法の、すなわち健側の
筋力強化で日常生活動作能力を確保し、速やかな社会
復帰を図るというお題目を、PTやOT達から聞かされ続
けてきました。そもそもこれは、機能、能力、社会的とい
う障害分類に基づくものなのだそうです。まずはこの基
本的な考え方を,国際生活機能分類(ICF)にバージョン
アップしてもらいたいものです。(ICFとの関係は、例え
ば大川弥生『介護保険サービスとリハビリテーション』
2004 を参照)
そこで、認知運動療法ですが、前提になる最新の脳
科学の成果の記述した前半は、素人のわたしには難し
過ぎました。それでも、脳の認知過程を活性化させる
ことで、運動機能回復が促進できるという説明は、素
直に頷けました。ポイントとなる言葉は,ふたつかなと
思います。
ひとつは、「ホムンクルス(脳のなかの小人)」、つま
り脳のなかに各身体機能を制御する分野が配列され、
しかも外的環境に応じそれが流動的に改変しているら
しいこと、他のひとつは、「野球の上手投げを練習した
からといってソフトボールの下手投げが上達するわけで
はない」、すなわち機械的な反復練習では他の動作の
向上はなく、脳の可塑性を生かした訓練手順に組み立
て直して初めてそれが可能になるという提言です。
著者の、あくまで患側片麻痺の運動機能回復に挑
戦する情熱に、賭けてみたい気がしています。
著者の訴えは、とても腑に落ちる(でも、現場は困難山積なんだろうナー…)
(2008-03-22)
「身体にのみ目を向けた旧来の運動療法は、脳卒中片麻痺患者の回復への期待に応えることができず、敗北を重ねてきた。損傷しているのが神経回路網なら、治療すべきは脳であり、『中枢神経系』の再生をはかるべきである」(帯の裏表紙側)、つまり問題は物理的身体ではなく「脳のなかの身体」たる「身体表象」なのだ…
というわけで、本書は「動作や行為の反復や遂行よりも、患者がいかに自己の身体を知り、身体を介して外部世界を知るのかという、大脳皮質の機能を最重視する」(p168) 認知運動療法の可能性を訴える。その具体的な技法も、ごく部分的ながら紹介される(p145〜)。
しかしこの「身体表象」というのが曲者で、確かに「自己の存在、自覚、状態、姿勢、動きなどにかかわっているが、それが身体の感覚なのか運動なのか、あるいは現象なのか機能なのかよくわからない」(p106)。著者はさらに「身体イメージ」「身体図式」、「運動イメージ」とその下位区分たる「筋感覚イメージ」「視覚イメージ」といった概念を次々提示し、例を挙げて説明しているが、正直言って私にはスッキリ呑み込めなかった。それでも「セラピストは、この脳内現象と真剣に向き合うべきであり、身体空間の変質、つまり運動麻痺や感覚麻痺に伴う身体イメージや運動イメージの変質を治療対象とすべきである」(p216)という訴えは説得的だった。
もっとも、「認知運動療法は、奇跡は起せない」。しかし「回復に向かう永続的な治療」は提供できる、と著者は言う(p236)。現場の困難を踏まえつつ希望を失うまいとする著者の姿勢には、勇気づけられるものがある。
ただし、気になる点もある。「身体は所有され、主体が動かしている」(p61)なんていう記述は、ちょっと素朴すぎないか? あるいは『千と千尋』主題歌中の「ゼロになるからだ」という歌詞と麻痺などにおける「『私の身体』の喪失」とを重ね合わせる件り(p62〜)には違和感があった。「現実にはありえない身体運動」を見せられると、脳は「人間の運動」ではなく「物体の運動」として処理するという話(p67)は面白かったが…
脳のリハビリテーション〜認知運動療法について
(2008-03-16)
脳虚血などによる器質的ダメージで引き起こされる身体麻痺などの症状。従来は、いわゆる「リハビリ」の名の下に、とにかく運動という身体活動をさせることで、機能改善を目指していた。しかしながら本書では、いくら身体そのものを動かしてみようと意味がない、その身体を認知・統合し、真の意味で操作できるようにするためには、脳のリハビリともいうべき「認知運動療法」が絶対的に必要だと主張する。極めて簡潔にいえば、「傷害を受けたのは脳なのだから、脳の機能を元に戻さなくては意味がない」ということである。
特徴として、筆者の提唱する認知運動療法の根幹にある「脳のボディマップ(身体イメージ)」についての説明が詳しいこと、そして後半は写真を多用し、実際の治療方法やその改善例などを丁寧に解説している点が挙げられる。身体という「機械」そのものの動きではなく、それを操縦する「私」に焦点を当てた認知運動療法の現在、そしてこれからの動きが概観できる一冊となっている。
セラピストの可能性を示唆する良書
(2008-02-26)
前著「リハビリテーション・ルネッサンス」の縮小版といった印象。
これまでの著書と同様に,リハビリテーションの可能性について言及し,著者の飽くなき挑戦の姿勢が窺い知ることができる。
日常生活の中に散りばめられている治療のヒントにいかに気づき,いかに活かせるか。
臨床家には一読を勧めたい。
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「身体を死んだ肉塊におとしめてはならない」
イタリアのペルフェッティが開発した「認知運動療法」についての書籍です。内容としては理学療法・作業療法の範疇に入るのでしょうが、わたしのような門外漢にもわかりやすく書いてあって、とても面白く読めました。
筆者が、「これまでの知識をみな捨てなくては、この治療法を理解できない」とまで思った認知運動療法。これまでの運動療法の延長でなく、違った考えから生まれたその治療法は、筆者によればリハビリテーションルネッサンスと称されています。
本書の考え方は、現在の運動麻痺へのリハビリテーションが運動麻痺そのものへのアプローチというよりは、残された機能を代償的に日常生活に用いる練習になっていることへの批判があります。
では、「認知運動療法」とはどのようなものでしょうか。
簡単に言えば、「脳の中の身体」つまり運動のイメージを回復させることで、運動麻痺を回復させようというものです、
従来の運動療法と違う点は以下の命題に現れています。
>身体を死んだ肉塊におとしめてはならない
>身体をもの言わぬ物体として扱ってはならない
>身体を自動的に動く解剖標本として理解してはならない
>身体を刺激に反応する物体と解釈してはならない
筆者はこれらを「人間機械論」と論じ、「それは患者の脳を物体とみなし、患者の脳に思考を要求しない、セラピストにおまかせの治療のことだ」と批判しています。
そして、重要なのは、「世界に意味を与える身体を取り戻すこと」と述べています。
脳の刺激実験で有名なペンフィールドは外部から運動野を刺激して身体を動かしてみせましたが、患者たちはそれを自分で動かしている感じをもたなかったそうです。
その後ペンフィールドは「意思」というものに悩み、心身二元論、すなわち、魂が存在するという立場に変わっていったという話が興味深かったです。
他者によって手を動かされるのと、自分が手を動かすのとでは、大きな違いがあるようです。そして、運動麻痺で使われるべきは後者の感覚を取り戻すことである、そんなふうにこの本は述べています。
脳は損傷後も経験から再編成を行うことが可能であることから、患者の思考こそが重要であること、患者自身が、自分の身体について思考しなければ回復しないことに気づくことが第一歩と述べられています。
患者の、苦悩に満ちた一人称の記述に耳を傾けることが専門職に求められるといえそうです。
この本に書かれている考え方を読んで、ふだん意識しない身体への感覚を意識するようになりました。
卑近な例ですが、歩き方に意識を向ければ意識がつまさきまでのびてゆくような気がするし、歩き方など考えもよらなければ、そもそも足の運びなどに気を向けない。
意識することで、自分が認識する身体が広がって、より望ましい運動が行えるようになる。
読み手の身体意識も変えてくれそうな本です。
奇跡のリハビリってあるの?
10年間のブランクの後、福祉業界に戻って最初に尋
ねたことのひとつが、変性疾患に対するリハビリは進歩
したのかということでした。先輩の答えは、「全然変わっ
ていない」でした。わたし達は、それこそ十年一日のご
とく、本書でいう伝統的な運動療法の、すなわち健側の
筋力強化で日常生活動作能力を確保し、速やかな社会
復帰を図るというお題目を、PTやOT達から聞かされ続
けてきました。そもそもこれは、機能、能力、社会的とい
う障害分類に基づくものなのだそうです。まずはこの基
本的な考え方を,国際生活機能分類(ICF)にバージョン
アップしてもらいたいものです。(ICFとの関係は、例え
ば大川弥生『介護保険サービスとリハビリテーション』
2004 を参照)
そこで、認知運動療法ですが、前提になる最新の脳
科学の成果の記述した前半は、素人のわたしには難し
過ぎました。それでも、脳の認知過程を活性化させる
ことで、運動機能回復が促進できるという説明は、素
直に頷けました。ポイントとなる言葉は,ふたつかなと
思います。
ひとつは、「ホムンクルス(脳のなかの小人)」、つま
り脳のなかに各身体機能を制御する分野が配列され、
しかも外的環境に応じそれが流動的に改変しているら
しいこと、他のひとつは、「野球の上手投げを練習した
からといってソフトボールの下手投げが上達するわけで
はない」、すなわち機械的な反復練習では他の動作の
向上はなく、脳の可塑性を生かした訓練手順に組み立
て直して初めてそれが可能になるという提言です。
著者の、あくまで患側片麻痺の運動機能回復に挑
戦する情熱に、賭けてみたい気がしています。
著者の訴えは、とても腑に落ちる(でも、現場は困難山積なんだろうナー…)
「身体にのみ目を向けた旧来の運動療法は、脳卒中片麻痺患者の回復への期待に応えることができず、敗北を重ねてきた。損傷しているのが神経回路網なら、治療すべきは脳であり、『中枢神経系』の再生をはかるべきである」(帯の裏表紙側)、つまり問題は物理的身体ではなく「脳のなかの身体」たる「身体表象」なのだ…
というわけで、本書は「動作や行為の反復や遂行よりも、患者がいかに自己の身体を知り、身体を介して外部世界を知るのかという、大脳皮質の機能を最重視する」(p168) 認知運動療法の可能性を訴える。その具体的な技法も、ごく部分的ながら紹介される(p145〜)。
しかしこの「身体表象」というのが曲者で、確かに「自己の存在、自覚、状態、姿勢、動きなどにかかわっているが、それが身体の感覚なのか運動なのか、あるいは現象なのか機能なのかよくわからない」(p106)。著者はさらに「身体イメージ」「身体図式」、「運動イメージ」とその下位区分たる「筋感覚イメージ」「視覚イメージ」といった概念を次々提示し、例を挙げて説明しているが、正直言って私にはスッキリ呑み込めなかった。それでも「セラピストは、この脳内現象と真剣に向き合うべきであり、身体空間の変質、つまり運動麻痺や感覚麻痺に伴う身体イメージや運動イメージの変質を治療対象とすべきである」(p216)という訴えは説得的だった。
もっとも、「認知運動療法は、奇跡は起せない」。しかし「回復に向かう永続的な治療」は提供できる、と著者は言う(p236)。現場の困難を踏まえつつ希望を失うまいとする著者の姿勢には、勇気づけられるものがある。
ただし、気になる点もある。「身体は所有され、主体が動かしている」(p61)なんていう記述は、ちょっと素朴すぎないか? あるいは『千と千尋』主題歌中の「ゼロになるからだ」という歌詞と麻痺などにおける「『私の身体』の喪失」とを重ね合わせる件り(p62〜)には違和感があった。「現実にはありえない身体運動」を見せられると、脳は「人間の運動」ではなく「物体の運動」として処理するという話(p67)は面白かったが…
脳のリハビリテーション〜認知運動療法について
脳虚血などによる器質的ダメージで引き起こされる身体麻痺などの症状。従来は、いわゆる「リハビリ」の名の下に、とにかく運動という身体活動をさせることで、機能改善を目指していた。しかしながら本書では、いくら身体そのものを動かしてみようと意味がない、その身体を認知・統合し、真の意味で操作できるようにするためには、脳のリハビリともいうべき「認知運動療法」が絶対的に必要だと主張する。極めて簡潔にいえば、「傷害を受けたのは脳なのだから、脳の機能を元に戻さなくては意味がない」ということである。
特徴として、筆者の提唱する認知運動療法の根幹にある「脳のボディマップ(身体イメージ)」についての説明が詳しいこと、そして後半は写真を多用し、実際の治療方法やその改善例などを丁寧に解説している点が挙げられる。身体という「機械」そのものの動きではなく、それを操縦する「私」に焦点を当てた認知運動療法の現在、そしてこれからの動きが概観できる一冊となっている。
セラピストの可能性を示唆する良書
前著「リハビリテーション・ルネッサンス」の縮小版といった印象。
これまでの著書と同様に,リハビリテーションの可能性について言及し,著者の飽くなき挑戦の姿勢が窺い知ることができる。
日常生活の中に散りばめられている治療のヒントにいかに気づき,いかに活かせるか。
臨床家には一読を勧めたい。
