カスタマーレビュー
おすすめ度:
主人公の伝記というより、幕末の人間模様を描いた秀作
(2008-05-14)
1977年の大河ドラマ原作。大村益次郎は中村梅之助が演じたとWikipediaにある。文庫3冊の長編。
大村益次郎こと村田蔵六は、高杉晋作から「火吹きダルマ」と形容された異相の持ち主である。私には、みなもと太郎「風雲児たち」でそのキャラクターと風貌とが強烈に刷り込まれているため、読書中頭の中で動く彼は正に一筆書きの「かわいいコックさん」であった。もちろん作者の練達の筆により物語は心地よく流れる。しかし作者自身も認めているように、蔵六の生涯のみでは話が膨らまない。余談に次ぐ余談であり、もちろん退屈する暇などないのであるが、一編の伝記としてみた場合、この長さには無理があると言わざるを得ない。
明治維新を完成させた天才軍師としての(わずか数年の)働きのために彼の名前は後世に残った。しかしもし彼にこれほどの才能がなかったら、彼の人生はどこにでもあるような、平凡で哀愁を帯びた人生であったと思える。職場では長年正当に評価されず、大半の同僚には疎まれ、そして妻にすら理解されなかった。妻は彼の両親を黙殺し、彼の遭難時にも駆けつけなかった。彼の死後、残した手紙等は妻によって襖の下張りに使われ、住居も取り壊されてしまう。作者はこれをごく当たり前のことと諦めたように語るが、そうだとしたら男の仕事とは何なのだろう?この時代、有能な人材がマイホームパパであり得たはずもなく、やはりこの妻は悪妻、それによる不当な仕打ちだったといえるのではあるまいか。その中で、イネの存在はモノクロの人生に映える一輪の赤い薔薇である。
最後にいわゆる司馬史観について。司馬史観とは鳥瞰的な史観であり、神の目から見た史観であるとどこかで読んだ。しかしこの、説明や余談の多い作品を読んでいて気づいた。そんな風にうまく言われてはいるが、結局のところ司馬史観とは「結果論」なのである。そのわかりやすさが、中高年層の人気の一因なのだろう。
学力低下が叫ばれて久しい昨今だが・・・
(2008-02-04)
最近ニュースで、「現在の日本の学力水準が世界的にどうか?」とか「学力を上げるためにどうしたらよいか?」などと、大学の有名な教授なんかがテレビで討論したりしているが、本書を読んで、「そんなことを議論しているなら『花神』をまず読め」と言ってやりたいと思った。そして、「学力を上げたいのなら、まず幕末の歴史を学ぶべきだ!!」とも思った。特に、本書の序盤に出てくる適塾の教育法や後半のヘボンの言葉などを読んでそう思った。そして、「なぜ遅くとも中学、いや高校の時にでも『花神』を読んでいなかったんだ」と心から後悔した。
学校関係者の方には特に読んで欲しい作品です。現場の人にももちろん読んで欲しいですが、それよりもっと上の文部科学省の官僚の人にも読んで欲しい作品です。また、中高生にも読んで欲しいです。いや、読んで欲しいというか中高生くらいなら絶対に読むべき作品のひとつだと思います。本作品を読むことが日本の学力を上げることにつながると信じています。
処世術ゼロ
(2007-08-22)
暑いですね、と声をかけられ夏だから暑いのは当たり前、と答えるあたり、大村益次郎という人はひどく変わった人物だったようです(彼は人間、口を開くときは意味のあることを言うべきだと信じていたらしいです)。センチメントとしてはナショナリストでありながら(攘夷論者であり、外国人嫌い)、徹底して理性の人であり、ゆえに西洋の合理主義、論理、技術というものに習熟します。こうした条件に、私心がないということを加えると、人となりそのものが幕末維新の運動論そのものになります。
彼が面白かった点(同時に彼自身の身を滅ぼす主因となったこと)は、自らの本質的な機能に忠実でありすぎたこと、余計なことをしなさすぎたことにあったようです(司馬氏は出自にその原因を求め、上士育ちでなかったため、世事に疎かった点を挙げている)。この軍事的天才は、その軍事的直感と綿密な戦略だけをいかに遂行するかということだけを考え、実行します。そして、それはすくほどに当たり、(全くそのとおりなのですが)実効の上がらない、直観力も洞察力もない、精神論を馬鹿にし、ことごとく退けます。場合により、組織のコミュニケーションもとりません。相手の面子をつぶすことにも平然とします。無駄なエネルギーを嫌う合理主義なのです。
出世はまるで考えず、自らの名前さえも気にせず欲はあくまで悪、自慢も驕りもない、処世術ゼロ。ただ軍司令官としての機能あるのみ・・国家の体制をひっくり返すときに輝きを増した個性です。このあまりに強烈な個性に、それを包み込むようにある木戸や西郷の存在と、(かなりぎこちないですけど)イネとのロマンスだけがほっとさせるものを感じさせることが救いの人生だったような気がしました。
司馬さんの本領が発揮されている作品
(2007-07-10)
物語は村田蔵六(のちの大村益次郎)が、長州の片田舎で町医者をする百姓の子として生まれ、大坂の緒方洪庵塾にて医学とオランダ語を学び、その知識を買われ宇和島藩上士、幕府教授、そして故郷の長州藩にて軍事総司令官となり、戊辰戦争の終息とともに非業の死をとげるまでを描いています。
大村益次郎というと華やかな人物の多い幕末の中では地味なタイプの主人公なので、読もうかどうか迷っている方もいるかもしれませんが、司馬さんは彼を非常に合理的で無骨だが妙な面白みも感じさせる人物としてとても魅力的に描いています。
人が「お暑うございます」と挨拶すると「夏は暑いのがあたりまえです」と顔色を変えず返すような人物。
司馬さんはこういうタイプの人物を描かせると本当にうまい。
また、桂小五郎や高杉晋作も登場しますし、吉田松陰や久坂玄瑞などについても触れられているので、彼らのファンの方も十分に楽しめると思います。ぜひ『世に棲む日日』とあわせてどうぞ。
『花神』という題名は、魅力的な題名の多い司馬作品の中でも絶品だと思います。その意味はラスト数ページでさり気なく語られるのみですが、今まで読んできた長い物語が一気に蘇ってきてそして終息したような、なんとも爽やかでそして切ない気分にさせられて、ふと読む手を止めてしまいました。
そしてその最終章につけられたタイトルは「蒼天」。『花神』を含めた司馬作品全体に流れるこの澄んだ青空のイメージこそ、私が司馬作品に惹かれてやまない理由です。
いいですよ
(2006-12-27)
私は司馬遼太郎さんの文体と分析が好きなので、この物語もたっぷりと堪能できました。
村田蔵六を徹底的な合理主義者ととらえ掘り下げていく。
さらに「攘夷」がいかに幕末に渦巻いていたのか、そしていかにして革命とつながっていくのか。
司馬さんなりの推理が展開されています。
登場人物の思考描写も非常に読み応えがあります。
司馬遼太郎作品を好きな人にとって必読書です。
おすすめ度:
主人公の伝記というより、幕末の人間模様を描いた秀作
1977年の大河ドラマ原作。大村益次郎は中村梅之助が演じたとWikipediaにある。文庫3冊の長編。
大村益次郎こと村田蔵六は、高杉晋作から「火吹きダルマ」と形容された異相の持ち主である。私には、みなもと太郎「風雲児たち」でそのキャラクターと風貌とが強烈に刷り込まれているため、読書中頭の中で動く彼は正に一筆書きの「かわいいコックさん」であった。もちろん作者の練達の筆により物語は心地よく流れる。しかし作者自身も認めているように、蔵六の生涯のみでは話が膨らまない。余談に次ぐ余談であり、もちろん退屈する暇などないのであるが、一編の伝記としてみた場合、この長さには無理があると言わざるを得ない。
明治維新を完成させた天才軍師としての(わずか数年の)働きのために彼の名前は後世に残った。しかしもし彼にこれほどの才能がなかったら、彼の人生はどこにでもあるような、平凡で哀愁を帯びた人生であったと思える。職場では長年正当に評価されず、大半の同僚には疎まれ、そして妻にすら理解されなかった。妻は彼の両親を黙殺し、彼の遭難時にも駆けつけなかった。彼の死後、残した手紙等は妻によって襖の下張りに使われ、住居も取り壊されてしまう。作者はこれをごく当たり前のことと諦めたように語るが、そうだとしたら男の仕事とは何なのだろう?この時代、有能な人材がマイホームパパであり得たはずもなく、やはりこの妻は悪妻、それによる不当な仕打ちだったといえるのではあるまいか。その中で、イネの存在はモノクロの人生に映える一輪の赤い薔薇である。
最後にいわゆる司馬史観について。司馬史観とは鳥瞰的な史観であり、神の目から見た史観であるとどこかで読んだ。しかしこの、説明や余談の多い作品を読んでいて気づいた。そんな風にうまく言われてはいるが、結局のところ司馬史観とは「結果論」なのである。そのわかりやすさが、中高年層の人気の一因なのだろう。
学力低下が叫ばれて久しい昨今だが・・・
最近ニュースで、「現在の日本の学力水準が世界的にどうか?」とか「学力を上げるためにどうしたらよいか?」などと、大学の有名な教授なんかがテレビで討論したりしているが、本書を読んで、「そんなことを議論しているなら『花神』をまず読め」と言ってやりたいと思った。そして、「学力を上げたいのなら、まず幕末の歴史を学ぶべきだ!!」とも思った。特に、本書の序盤に出てくる適塾の教育法や後半のヘボンの言葉などを読んでそう思った。そして、「なぜ遅くとも中学、いや高校の時にでも『花神』を読んでいなかったんだ」と心から後悔した。
学校関係者の方には特に読んで欲しい作品です。現場の人にももちろん読んで欲しいですが、それよりもっと上の文部科学省の官僚の人にも読んで欲しい作品です。また、中高生にも読んで欲しいです。いや、読んで欲しいというか中高生くらいなら絶対に読むべき作品のひとつだと思います。本作品を読むことが日本の学力を上げることにつながると信じています。
処世術ゼロ
暑いですね、と声をかけられ夏だから暑いのは当たり前、と答えるあたり、大村益次郎という人はひどく変わった人物だったようです(彼は人間、口を開くときは意味のあることを言うべきだと信じていたらしいです)。センチメントとしてはナショナリストでありながら(攘夷論者であり、外国人嫌い)、徹底して理性の人であり、ゆえに西洋の合理主義、論理、技術というものに習熟します。こうした条件に、私心がないということを加えると、人となりそのものが幕末維新の運動論そのものになります。
彼が面白かった点(同時に彼自身の身を滅ぼす主因となったこと)は、自らの本質的な機能に忠実でありすぎたこと、余計なことをしなさすぎたことにあったようです(司馬氏は出自にその原因を求め、上士育ちでなかったため、世事に疎かった点を挙げている)。この軍事的天才は、その軍事的直感と綿密な戦略だけをいかに遂行するかということだけを考え、実行します。そして、それはすくほどに当たり、(全くそのとおりなのですが)実効の上がらない、直観力も洞察力もない、精神論を馬鹿にし、ことごとく退けます。場合により、組織のコミュニケーションもとりません。相手の面子をつぶすことにも平然とします。無駄なエネルギーを嫌う合理主義なのです。
出世はまるで考えず、自らの名前さえも気にせず欲はあくまで悪、自慢も驕りもない、処世術ゼロ。ただ軍司令官としての機能あるのみ・・国家の体制をひっくり返すときに輝きを増した個性です。このあまりに強烈な個性に、それを包み込むようにある木戸や西郷の存在と、(かなりぎこちないですけど)イネとのロマンスだけがほっとさせるものを感じさせることが救いの人生だったような気がしました。
司馬さんの本領が発揮されている作品
物語は村田蔵六(のちの大村益次郎)が、長州の片田舎で町医者をする百姓の子として生まれ、大坂の緒方洪庵塾にて医学とオランダ語を学び、その知識を買われ宇和島藩上士、幕府教授、そして故郷の長州藩にて軍事総司令官となり、戊辰戦争の終息とともに非業の死をとげるまでを描いています。
大村益次郎というと華やかな人物の多い幕末の中では地味なタイプの主人公なので、読もうかどうか迷っている方もいるかもしれませんが、司馬さんは彼を非常に合理的で無骨だが妙な面白みも感じさせる人物としてとても魅力的に描いています。
人が「お暑うございます」と挨拶すると「夏は暑いのがあたりまえです」と顔色を変えず返すような人物。
司馬さんはこういうタイプの人物を描かせると本当にうまい。
また、桂小五郎や高杉晋作も登場しますし、吉田松陰や久坂玄瑞などについても触れられているので、彼らのファンの方も十分に楽しめると思います。ぜひ『世に棲む日日』とあわせてどうぞ。
『花神』という題名は、魅力的な題名の多い司馬作品の中でも絶品だと思います。その意味はラスト数ページでさり気なく語られるのみですが、今まで読んできた長い物語が一気に蘇ってきてそして終息したような、なんとも爽やかでそして切ない気分にさせられて、ふと読む手を止めてしまいました。
そしてその最終章につけられたタイトルは「蒼天」。『花神』を含めた司馬作品全体に流れるこの澄んだ青空のイメージこそ、私が司馬作品に惹かれてやまない理由です。
いいですよ
私は司馬遼太郎さんの文体と分析が好きなので、この物語もたっぷりと堪能できました。
村田蔵六を徹底的な合理主義者ととらえ掘り下げていく。
さらに「攘夷」がいかに幕末に渦巻いていたのか、そしていかにして革命とつながっていくのか。
司馬さんなりの推理が展開されています。
登場人物の思考描写も非常に読み応えがあります。
司馬遼太郎作品を好きな人にとって必読書です。
