カスタマーレビュー
おすすめ度:
知らなかった
(2008-11-13)
佐野洋子さんのエッセイはほぼすべて目を通している。
でも、知らないことがたくさん書かれていた。
お母さんに手をぱちんをはたかれた話し、
口紅を塗るときの「ムッパッ」が好きだったこと、
お化粧をどこでも欠かさないことなどは何度か目にした話。
けれども、それ以外の知らないことがたくさん、たくさん書いてあった。
題名の「シズコさん」
お母さんじゃなくて、「シズコさん」というのが
著者と母との距離感をあらわしていると思う。
時を追って書いているのではなく、その時々で
過去のこと(幼少期から60歳くらいまでの過去)と
現在のお母さまの様子が書かれている。
14ほどの章ごとに幼少期だったり、学生時代だったり、
結婚していたり、別れていたり、新しいパートナーと出会っていたり。
そういうバラバラの書き方なのに、全体としてまとまりがあり、
びっくりするほどあけすけに、赤裸々に書いているのに、
なぜか露悪感がない。
「それ言っちゃうの?」というようなこともたくさん書かれているし
書かれた周囲の人の中には「どう思っているだろう?」というのもある。
弟が交通事故を起こした話や弟のお嫁さんのこと、
自分の実の母の悪態などもこれでもか、と書いてある。
でも、だからこそ、読む人の心にぐっと来るものがあるのだろう。
現在は分からないが、本の末に
乳がんが骨に転移した、私もすぐそっち(なくなったお母様のほう)に
行くよ、とあった。
遺書のような、自分の心の整理をつけたかったような、
そんな風にも感じた。
私自身は著者のような母との葛藤はない。
けれども、ぐっとつきささり、考え込み、
最後の方は涙で読めなかった。
ある意味、グロテスクかも知れない。
目を背けたくなるところも、あるかも知れない。
でも、オススメです。
私はどんどん読んで、でもまだあって、読み進めて
結末に少し救われました。
心の救済
(2008-10-13)
物言いの歯切れのよい著者にしてこのお母さん。
ユーモア混じりに強烈なエピソードが盛り込まれているが・・・。
子どものころの「虐待」を許せないまま、痴呆の母親を施設へ預ける著者。
母の方はといえば、痴呆がすすみ、まるくなってだんだん世俗の垢が落ちてゆくのだが、
だからこそ自責の念は増すばかりの著者。
こうして6年がたち、ある訪問日、母親のお布団にもぐりこみ、子守唄をうたっていると、
思いがけず「ごめんね、母さん」という言葉が飛び出す、
するとなんとシズコさんも「私のほうこそごめんなさい」と・・・。
何十年来の嫌悪感が、『氷山にお湯をぶっかけた様にとけていった・・』
母90、娘70歳にして・・・・。
遅すぎるようにもみえて、このタイミングはベストタイミングだったのだろう。
というか、ずい分時間を要したが、死に別れる前に氷解したことは、
奇跡的にもおもえて、わたしは素直に著者の気持ちに寄り添えて感動した。
そして、著者が、
子どものまま亡くなった兄や弟たちの記憶を、ずっと引き受けてきたことに、
同情してしまう。(この本では弟タダシの記憶が特に描かれている。著者の既刊エッセイ「わたしが妹だったとき」もよかった)
戦後の引き揚げ後の混乱の中、子沢山で、男の子三人を亡くし、
夫を亡くし、残った子達を育て上げた母シズコさんの苦労とたくましさのかげに
長女・洋子さんの複雑な責任感もみえるようだ。
シズコさんが、痴呆になってこの世の荷物をおろしたことで、
洋子さんもやっとその重荷から解き放たれたのかな・・・。
そして、母親と亡くなった兄弟のいる向こう側は、
洋子さんにとって、いずれ迎えてもらえる「静かで懐かしい」場所になった。
ありがとう、と洋子さんは書いている。安堵した。
連載エッセイの単行本化だからか、
重複エピソードもみられるが、母親、家族へのストレートなおもいが伝わってくる。
血の縁ということ
(2008-08-26)
介護日記を読めるかと思って買ったが、実際は佐野洋子さんの母や父や兄弟に係わる自叙伝を読んでいる気分だった。確かに明治や大正の頃の昔の親は、子供、特に長女に躾の部分で厳しかったと思う。厳しいことが優しさだと思えるのに一生をかけて理解する、そんな娘のようだ。最後のほうになって、やっと介護の面が現れ始める。毎日一緒に生活していても、呆けていく事がわかるほど残酷な過程はない。母親には触れないほど嫌っていた洋子さんに変化が訪れる。母親が呆けていくのと比例して同時に母を許している洋子さんがいる。
母のことは嫌いだと豪語している洋子さんだが、各章の最後に書かれている一説一節が、母娘の関係を暖かい視線からみていることに安心するのだった。
母と娘
(2008-08-25)
著者と母親の関係、著者の妹と母親の関係はまるで自分の家族を見るようだった。妹と母の関係は絵に描いたような美しい母娘関係だ。でもある意味で薄っぺらい。著者と母の関係は何重にも色を塗り重ねてごつごつごてごてした油絵のようだ。美しいという言葉は当てはまらないかもしれないが母という一人の人間に対する深い理解と愛を感じる。著者は非常に繊細で感受性豊かな人だ。母が年老い、ボケて弱者となり、自分も弱いものになっていくことを自覚する過程で、母親に対して抱いていた嫌悪感のさらにその奥にあるものに出会え、母のネガティブな面も含めて深い愛情を持てるようになったのだ。
人と親との関係
(2008-08-19)
「シズコさん」は7人子供を生んだのだが,そのうち3人の男の子は子供のうちに死んでしまう。生き残った最年長の子供(長女)が「私」。
でも,私は,母親には愛されていなかったと考えている。父親(私が19歳のときに死亡)は,私を愛してくれてはいたが,家庭内に緊張感しかもたらさないような人間だった。そんな母は,自分の家から嫁(私の弟の妻)に追い出され,私からも老人ホームに「捨て」られる。
「私」は,過去の種々のエピソードを思い出しながら,母親との関係を見直していく。その際,「親は子供を愛しているはず。子も親を愛しているはず」という社会通念(建前)ではなく,「本当はどうだったのだろう」ということが,できるだけ克明に描写されていて,ある種,つらい本である。なぜなら,これを読んでいる私自身,両親に対してアンビバレントな感情を捨てきれずにいるから。
両親との関係が良好な人には,筆者の苦悩は理解できないと思う。そうでなかった人は,是非一読して,自分と両親との関係を見直す材料にしてもらいたい。
つらいけど,読んでよかったと思える本である。
おすすめ度:
知らなかった
佐野洋子さんのエッセイはほぼすべて目を通している。
でも、知らないことがたくさん書かれていた。
お母さんに手をぱちんをはたかれた話し、
口紅を塗るときの「ムッパッ」が好きだったこと、
お化粧をどこでも欠かさないことなどは何度か目にした話。
けれども、それ以外の知らないことがたくさん、たくさん書いてあった。
題名の「シズコさん」
お母さんじゃなくて、「シズコさん」というのが
著者と母との距離感をあらわしていると思う。
時を追って書いているのではなく、その時々で
過去のこと(幼少期から60歳くらいまでの過去)と
現在のお母さまの様子が書かれている。
14ほどの章ごとに幼少期だったり、学生時代だったり、
結婚していたり、別れていたり、新しいパートナーと出会っていたり。
そういうバラバラの書き方なのに、全体としてまとまりがあり、
びっくりするほどあけすけに、赤裸々に書いているのに、
なぜか露悪感がない。
「それ言っちゃうの?」というようなこともたくさん書かれているし
書かれた周囲の人の中には「どう思っているだろう?」というのもある。
弟が交通事故を起こした話や弟のお嫁さんのこと、
自分の実の母の悪態などもこれでもか、と書いてある。
でも、だからこそ、読む人の心にぐっと来るものがあるのだろう。
現在は分からないが、本の末に
乳がんが骨に転移した、私もすぐそっち(なくなったお母様のほう)に
行くよ、とあった。
遺書のような、自分の心の整理をつけたかったような、
そんな風にも感じた。
私自身は著者のような母との葛藤はない。
けれども、ぐっとつきささり、考え込み、
最後の方は涙で読めなかった。
ある意味、グロテスクかも知れない。
目を背けたくなるところも、あるかも知れない。
でも、オススメです。
私はどんどん読んで、でもまだあって、読み進めて
結末に少し救われました。
心の救済
物言いの歯切れのよい著者にしてこのお母さん。
ユーモア混じりに強烈なエピソードが盛り込まれているが・・・。
子どものころの「虐待」を許せないまま、痴呆の母親を施設へ預ける著者。
母の方はといえば、痴呆がすすみ、まるくなってだんだん世俗の垢が落ちてゆくのだが、
だからこそ自責の念は増すばかりの著者。
こうして6年がたち、ある訪問日、母親のお布団にもぐりこみ、子守唄をうたっていると、
思いがけず「ごめんね、母さん」という言葉が飛び出す、
するとなんとシズコさんも「私のほうこそごめんなさい」と・・・。
何十年来の嫌悪感が、『氷山にお湯をぶっかけた様にとけていった・・』
母90、娘70歳にして・・・・。
遅すぎるようにもみえて、このタイミングはベストタイミングだったのだろう。
というか、ずい分時間を要したが、死に別れる前に氷解したことは、
奇跡的にもおもえて、わたしは素直に著者の気持ちに寄り添えて感動した。
そして、著者が、
子どものまま亡くなった兄や弟たちの記憶を、ずっと引き受けてきたことに、
同情してしまう。(この本では弟タダシの記憶が特に描かれている。著者の既刊エッセイ「わたしが妹だったとき」もよかった)
戦後の引き揚げ後の混乱の中、子沢山で、男の子三人を亡くし、
夫を亡くし、残った子達を育て上げた母シズコさんの苦労とたくましさのかげに
長女・洋子さんの複雑な責任感もみえるようだ。
シズコさんが、痴呆になってこの世の荷物をおろしたことで、
洋子さんもやっとその重荷から解き放たれたのかな・・・。
そして、母親と亡くなった兄弟のいる向こう側は、
洋子さんにとって、いずれ迎えてもらえる「静かで懐かしい」場所になった。
ありがとう、と洋子さんは書いている。安堵した。
連載エッセイの単行本化だからか、
重複エピソードもみられるが、母親、家族へのストレートなおもいが伝わってくる。
血の縁ということ
介護日記を読めるかと思って買ったが、実際は佐野洋子さんの母や父や兄弟に係わる自叙伝を読んでいる気分だった。確かに明治や大正の頃の昔の親は、子供、特に長女に躾の部分で厳しかったと思う。厳しいことが優しさだと思えるのに一生をかけて理解する、そんな娘のようだ。最後のほうになって、やっと介護の面が現れ始める。毎日一緒に生活していても、呆けていく事がわかるほど残酷な過程はない。母親には触れないほど嫌っていた洋子さんに変化が訪れる。母親が呆けていくのと比例して同時に母を許している洋子さんがいる。
母のことは嫌いだと豪語している洋子さんだが、各章の最後に書かれている一説一節が、母娘の関係を暖かい視線からみていることに安心するのだった。
母と娘
著者と母親の関係、著者の妹と母親の関係はまるで自分の家族を見るようだった。妹と母の関係は絵に描いたような美しい母娘関係だ。でもある意味で薄っぺらい。著者と母の関係は何重にも色を塗り重ねてごつごつごてごてした油絵のようだ。美しいという言葉は当てはまらないかもしれないが母という一人の人間に対する深い理解と愛を感じる。著者は非常に繊細で感受性豊かな人だ。母が年老い、ボケて弱者となり、自分も弱いものになっていくことを自覚する過程で、母親に対して抱いていた嫌悪感のさらにその奥にあるものに出会え、母のネガティブな面も含めて深い愛情を持てるようになったのだ。
人と親との関係
「シズコさん」は7人子供を生んだのだが,そのうち3人の男の子は子供のうちに死んでしまう。生き残った最年長の子供(長女)が「私」。
でも,私は,母親には愛されていなかったと考えている。父親(私が19歳のときに死亡)は,私を愛してくれてはいたが,家庭内に緊張感しかもたらさないような人間だった。そんな母は,自分の家から嫁(私の弟の妻)に追い出され,私からも老人ホームに「捨て」られる。
「私」は,過去の種々のエピソードを思い出しながら,母親との関係を見直していく。その際,「親は子供を愛しているはず。子も親を愛しているはず」という社会通念(建前)ではなく,「本当はどうだったのだろう」ということが,できるだけ克明に描写されていて,ある種,つらい本である。なぜなら,これを読んでいる私自身,両親に対してアンビバレントな感情を捨てきれずにいるから。
両親との関係が良好な人には,筆者の苦悩は理解できないと思う。そうでなかった人は,是非一読して,自分と両親との関係を見直す材料にしてもらいたい。
つらいけど,読んでよかったと思える本である。
