カスタマーレビュー
おすすめ度:
いくら評価されても過ぎるということがない歴史的一冊
(2006-01-27)
池田清彦がはじめて「世直し」を意識して書いた本であり,その後の池田清彦の社会評論に関する議論の中核的なアイディアは,この1冊に凝縮されているといえよう。
個人的な感情論や道徳論の域をでない言論が多いなか,この本はすべて1つの原理をもとに展開されており,多くの本を読んできたが,社会原理論としてこれ以上優れたものを知らない。
その原理は【人々が自分の欲望を解放する自由(これを恣意性の権利と呼ぼう)は,他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り,保護されねばならない。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる。】といういたってシンプルなものだが,有用性,汎用性ともに極めて高い原則となる考えであることは,本書を読んでもらえればわかるだろう。
この本を読んだときには,あまりに凄すぎて,社会システム論,道徳論という点で,これを超える本はもう出ないだろうと,しばらく呆然としたほどであった。「いくら評価されても過ぎることがないといって良いほどもっと評価されてしかるべき本」だと思う。
特に是非,政治志望の人にも読んでもらいたい一冊。というのも,この本に書いてあることが,少しでも実現されるようになれば世の中もっとよくなるに違いないからである。
人にはのたれ死ぬぐらいの自由がある
(2004-09-17)
のっけから、池田氏の云いたい放題、脱線ありの、よく考えるとその通りの毒舌のとりこに引き込まれていく。池田氏はビートたけしと小学校がほぼ同期というから、共通する江戸っ子の血があるのかもしれない。本のタイトルが良くなかったのか、正当に評価されていない、後世に残る名著である。主題は一般的通念の「正しい」生き方という倫理・宗教・原理主義に基づくものではなく「自分の規範(ルール)」を元にいかに「よく」生きるかの提唱である。
池田氏はもともと構造主義生物学の大学の先生で大のカミキリ虫好きの少年。ご自身の学問を学者の意見など耳を傾けず、独学で法律や思想を学ばれたのか不明であるが、専門の構造主義生物学をベースに思想を展開し、全て自分の言葉で考え、凡百の学者を越えた、自由主義を唱えている。池田氏のオリジナルの自由主義論は結果としては社会学・経済学ではリバタリズムと呼ばれる思想に分類される。
”人々が自分の欲望を解放する自由(これを恣意性の権利と呼ぼう)は、他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、保護されねばならない。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる。”
わかりやすく言えば、人は誰かを好きになる自由・権利はあるが、誰かに好かれる権利はない。ボランティアで助けを求めている人に手をさしのべる自由・権利はあるが、その行為に対して感謝される権利はない。そこを混同して教師の資格をとるために「ボランティア」を義務づけした文部省の対応に池田氏は激しく批判をしている。
それに対する批判ぶりは”人はボランティアなどしないで,ハナクソをほじりながら朝から酒を飲んでいる自由がある。”と痛快である。
おすすめ度:
いくら評価されても過ぎるということがない歴史的一冊
池田清彦がはじめて「世直し」を意識して書いた本であり,その後の池田清彦の社会評論に関する議論の中核的なアイディアは,この1冊に凝縮されているといえよう。
個人的な感情論や道徳論の域をでない言論が多いなか,この本はすべて1つの原理をもとに展開されており,多くの本を読んできたが,社会原理論としてこれ以上優れたものを知らない。
その原理は【人々が自分の欲望を解放する自由(これを恣意性の権利と呼ぼう)は,他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り,保護されねばならない。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる。】といういたってシンプルなものだが,有用性,汎用性ともに極めて高い原則となる考えであることは,本書を読んでもらえればわかるだろう。
この本を読んだときには,あまりに凄すぎて,社会システム論,道徳論という点で,これを超える本はもう出ないだろうと,しばらく呆然としたほどであった。「いくら評価されても過ぎることがないといって良いほどもっと評価されてしかるべき本」だと思う。
特に是非,政治志望の人にも読んでもらいたい一冊。というのも,この本に書いてあることが,少しでも実現されるようになれば世の中もっとよくなるに違いないからである。
人にはのたれ死ぬぐらいの自由がある
のっけから、池田氏の云いたい放題、脱線ありの、よく考えるとその通りの毒舌のとりこに引き込まれていく。池田氏はビートたけしと小学校がほぼ同期というから、共通する江戸っ子の血があるのかもしれない。本のタイトルが良くなかったのか、正当に評価されていない、後世に残る名著である。主題は一般的通念の「正しい」生き方という倫理・宗教・原理主義に基づくものではなく「自分の規範(ルール)」を元にいかに「よく」生きるかの提唱である。
池田氏はもともと構造主義生物学の大学の先生で大のカミキリ虫好きの少年。ご自身の学問を学者の意見など耳を傾けず、独学で法律や思想を学ばれたのか不明であるが、専門の構造主義生物学をベースに思想を展開し、全て自分の言葉で考え、凡百の学者を越えた、自由主義を唱えている。池田氏のオリジナルの自由主義論は結果としては社会学・経済学ではリバタリズムと呼ばれる思想に分類される。
”人々が自分の欲望を解放する自由(これを恣意性の権利と呼ぼう)は、他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、保護されねばならない。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる。”
わかりやすく言えば、人は誰かを好きになる自由・権利はあるが、誰かに好かれる権利はない。ボランティアで助けを求めている人に手をさしのべる自由・権利はあるが、その行為に対して感謝される権利はない。そこを混同して教師の資格をとるために「ボランティア」を義務づけした文部省の対応に池田氏は激しく批判をしている。
それに対する批判ぶりは”人はボランティアなどしないで,ハナクソをほじりながら朝から酒を飲んでいる自由がある。”と痛快である。
