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お気楽にも深くも読める本 ケストナーファン必読
私が最も好きなケストナー作品「雪の中の三人男」に続くユーモア三部作だというので、取り寄せて読んでみた。舞台はナチスによる独墺合邦の前年1937年のザルツブルク。一目惚れの恋物語で、他愛ないストーリー展開とお定まりのハピーエンド。若者が読めば、粗筋以外は記憶に残らないだろう。ケストナー作品は実はいい歳をした大人が読むものである、というのが人生黄昏に足を踏み入れつつある私の見解である。主人公ゲオルクは資産家の次男坊で博士号を持つ自称文筆業だが15年で1冊も本を出していないという羨ましい身分の高等遊民。極めつけがドイツ語文法「接続法」がライフワークで、この接続法ネタは本文中、至るところに現れるからドイツ人にも接続法は難しいらしい。相棒やヒロインの兄とのレトリックの効いた会話、恋人コンスタンツェ(モーツァルトの妻と同じ名をつけたのは、ザルツブルクから思いついたのかも知れない)の、寝室での偶然を装った大胆な振る舞い・・・いや、本当に偶然だったのかも。そして言外に通底する独墺合邦への当て擦り。しかしケストナー作品、たとえばこの本以外でも「二人のロッテ」などを読む限り、ドイツとオーストリアの人々は互いに外国との認識を感じていないように思える。この本を読む前に独墺合邦についてざっと目を通しておくとよいかも知れない。一つ私が引っ掛かっているのは、愉快な名字をつけるのが得意なケストナーにして、なぜ「H伯爵」か?
さて、実のところ私はザルツブルクを殆ど知らない。3年前、音楽の師匠に随行して僅か2日ほど滞在しただけである。例によって延々と長いケストナーの前書きをやっと通り過ぎて辿り着いた本文の1ページ目にザルツブルクの平面図が載っている。それを見た瞬間、街の中心を流れるザルツァッハ川が鮮やかに甦った。ケストナーが描写する70年前のザルツブルクは、クルマがやたら増えた以外は恐らく今と同じで、タイムマシンの街だ。もう一度ザルツブルクに行き、日がなカフェでのんびりと、この本を読みたくなってきた。
原題は“DER KLEINE GRENZVERKEHR”(小さな国境往来)
「ドイツ文学」で検索して表示された小説のなかから、
そのオシャレな表題に引かれて購入した。
実はドイツの情熱あふれた小説を期待していたが
(ケストナー作品は読むのは初めて。)
あっさりとした軽いタッチの小説で、ある意味、思惑とは違っていた。
でもそれが悪い評価につながるわけではない。
登場人物も少なく絞り込まれ、
場面もザルツブルク(オーストリア)とライヘンハル(ドイツ)がほとんど。
まるで舞台劇を見るように物語は進んでいく。
そうか、舞台か恋愛映画を見るような感覚でこの小説を読めばいいのか。
しかも発表が1938年なので、現代のゴテゴテした恋愛ではなく、
例えば「ローマの休日」のような、本当に二人でいるだけで楽しい、というような、
キッスだけでドキドキ。ウインクだけでお互いがわかりあえる、といった感じ。
(書いてて恥ずかしくなりました)
この本を読むなら、どこで読むか、も重要。
モーツァルトなどのクラシックのかかる、内装や食器も古風で気のきいた、
おしゃれな喫茶店がいいですね。
注文は、もちろん、ウインナーコーヒー!
メールヒェン・ロマンスの香り
『飛ぶ教室』を始め、児童文学に名作を残したケストナーの恋のおとぎ
話、ラブロマンスの素敵な作品です。話の中に出てくるモーツァルトの
音楽が聞こえてくるような朗らかさ、明るさが全編に流れています。
メールヒェン的で、温雅なユーモアに満ちている、これはドイツ&
オーストリア国境バージョン「恋におちて」。第二次世界大戦が始まる
一年前、1938年に発表された作品です。
ひと夏をオーストリアのザルツブルクで過ごすことにしたゲオルク。
為替の認可がなかなか下りないため、ザルツブルクでは貧乏暮らしを、
国境越しのドイツ・ライヘンハルのホテルでは大名暮らしを送ること
になる。鉄道に乗って一時間と離れていないザルツブルクとライヘン
ハルの都市間を、昼と夜とで往復して過ごそうというわけ。そうして
日を送るようになってすぐのこと、ザルツブルクのカフェで無一文状
態になってしまったゲオルク。立ち往生していたその時、運命の女神
が微笑んだのだった。
という具合にカーテンの幕がするするっと上がって、話が滑り出して
行きます。国境往来をしながらの恋の喜劇の、はじまりはじまり~♪
モーツァルトの音楽が、さあっと流れていくみたいな朗らかさがあり
ます。上品なユーモアがいかしてる、香り高いロマンス小説の逸品で
すよー。
「一杯の珈琲から」恋は始まる
「一杯の珈琲から」恋に落ちることがあるだろうか。 ケストナーは「ある」と思わせてくれる素敵な本を書いた。ケオルグとコンスタンツェの恋愛は純粋で優美でしゃれている。大金持ちの一家が使用人に変装しているという設定など奇抜な感もあるが、それさえも素敵に思わせるくらいケストナーの筆の冴えは見事だ。
舞台は、ドイツとオーストリアの間に国境があった1937年度のオーストリア・ザルツブルク。ドイツでは大金持ちの主人公ゲオルグは、夏休みをザルツブルクで過ごそうとしていた。しかし、この時は為替管理法があったため、ドイツマルクをオーストリアへほとんど持ち出すことが出来なかった。翌1938年度には、オーストリアはドイツに併合されており、小説から時代背景も浮き彫りとなってくる。
本書は、ザルツブルク音楽祭をテーマにしただけあって、シュトラウスやモーツァルトなどに関するケストナーの博識ぶりもうかがえる。
また、本書が書かれた頃はドイツはナチス全盛の時代。全編ユーモアの中にも、ケストナーの平和への願いも見られる。例えば、アメリカ人が酒をおごってくれたというくだりの後こう続く。「そんなことをしたら(酒の招待を断ったら)彼は憤慨して国へ帰り、カールとおれのことを礼儀知らずの人間だといって話をする。そしてとかく人間は印象を一般化する傾向があるから、これがもとになって全ヨーロッパを紛糾に導かないとは限らない。今までのいかなる時代にもまして、きょうはこれを回避する必要が…」と。。「一杯の酒から」戦争が始まることもありうるというケストナーの警句とも取れる。その後、第二次世界大戦(1939ー1945)が起こることを考えると暗示的な文章だ。
