カスタマーレビュー
おすすめ度:
立派だなあ
(2008-10-26)
感心しました。
食肉や自然との関係に対して、自分なりに正しいと思えること、こうあったほしいというしっかりとした理念をこの若さで確立している。
また、理念だけの人ならたくさんいるのでしょうが、実際にそれを自分の生き方とするために、たくさんのものを引き受けているんだなぁと。
その引き受けているものも並大抵ではない。殺生、それも殴打であったりの最も残酷とされる方法を敢えて選択することを引き受けている。大変なことですよ。
あっさりと殺し得た事は書いてありますが、必ずしもそんな状況ばかりではなかったのでは。動物の「生きたい、殺すな」という悲鳴を耳にしつつ、右に左に少しでも動くことのできる体の部分をくねらせて生命の維持を求めて逃げようとする動物の体に、何度も殴打したりもあったのではないでしょうか。意図的な動きを失って後も、痙攣しつつ、いろいろなところからにおいを伴った体液をもらし、最後に瞳から命の徴候が失われていくことも目にしたことでしょう。
理念の実現のためにこれだけの事に耐えるというのは本当に立派なことです。
また、これだけのことをした後で、食べるときに、「動物に感謝」することも忘れない。立派です。私なら、「感謝すれば、これだけのことしても許されることになるのかな、たとえば自分や自分の妻子が誰かに滅多打ちにされて殺害された後、感謝して食べてもらえるなら、まあいいか」と思えるのだろうかと、しり込みするところです。
いま一番読むべき系の本。
(2008-10-19)
いい本。
ぜひ買って読んでほしい。
ただし、これは猟師さんの話しだと思ってほしくない。
(でも著者の千松信也さん自身がすんごく面白い人だ。そういうことも読めばわかるはず。)
+
本書は猟師の話しというより、環境や生活や、つまり生きることの本質が書かれていると思った。
著者はそのことを自分の五感で知っている人だということ。
そしてその人が書いている本だということ。
国民の99.9%、いやもっとか?!
もっと多くの日本人は肉がどういう風になっているかを知らない。
ましてや肉は命だからそれがどうなって肉になるか、その光景や感触はもっと知らない。
でもちゃんと肉を食べてる。
そしておいしい! ありがたい!
それはスバラしいんだけど99.9%の側が(つまり我々が)得たのは、ナマナマしい光景や微妙な感触を味あわなくて済むということや食卓に完成したものが整然とならぶ便利さ。
失ったのは生きものたちへの感謝。
これからは様々な地球問題から、足るを知る暮らしにぜったいになっていく。
そして無駄をしないということ。
本書P144(写真あり)の鹿の皮でつくったカバンもそう。
作るって簡単に言うけど作るってことはタイヘンなことだ。
いろんなものを作ってくれてる人に感謝したくなる。
肉などの捕食ということだけではなく、自然からの恵みのいろんなことを知れる本。
カラー写真もある。
少ないけど章の最初に動物とか自然を主体にしてる伊藤存氏の装画もあってそれもいい感じ。
+
この本を思い出したように何度も読みたい。
この本を読んだらすぐさまアイヌの本をたくさん読むといいと思う。
さらに読んで感じたことが深まると思う。
日が暮れても遊びをやめないということ
(2008-10-06)
海の漁師の本はいくつか読んだことがあったが 山の猟師の話は初めてだったので大変興味深く読んだ。(敢えて言うなら 立花隆の「青春漂流」に出てきた鷹匠の話を読んだことがあるくらいだ)
まず 猟師としての細部が面白い。僕自身 猪や鹿を食べることが好きなだけに 読んでいて お腹が減ってきた位である。捕るまでも大変そうだが 捕った後の作業は更に大変そうだ。これは素人ではとても勤まらないと改めて感じた。
次に そもそも柳田國男の本から その世界に入っていたという点に惹かれた。柳田は自分自身が 山中で神隠しになりかけた経験を持ち 山人研究に力を入れた時期がある。本書の著者も おそらくは同じような資質がどこかにあったのではないかと勝手に想像した。著者が猟師になる前に行ったというアジア放浪の話も 無理やりかこつけると 柳田が晩年に唱えた「海上の道」のベクトルの方向にある。もちろん矢印の向きは別だが。
最後に 現代の日本で猟師であることの意義について。この点においては 正直僕に見えてくるものは少なかった。著者は 猟師であることが好きだという 極めて個人的な理由で猟師をやっていると考える。エコロジーの視点は 本書の随所にも出てくるが 本書は エコロジーの思想書でもなければ 実践ガイドでもない。
著者が冒頭で述べている 自然との遊びを 大人になっても続けられているという著者自身の喜びが 本書に流れる「明るさ」なのだと思う。その意味では 夕方 日が暮れても 家に帰らずに遊び続けている子供の姿に重なるものがある。
「遊び続ける子供」とは決して著者を貶めているわけではない。逆だ。「遊び続ける」ことが出来る強さこそが おそらく 著者の身上なのだと思う。そして それは非常に羨ましい。
必見!猟師生活
(2008-10-04)
今の世の中で、漁師はともかく猟師なんて、耳にするのは、赤ずきんちゃんのお話しの中くらいですよね。そうでなければ、山深くのマタギか…普通の会社勤めをしながら、特に気負う事もなく、淡々と兼業猟師(?)の暮らしを続ける著者には、本当に脱帽です。若いのに(若い故か?)凄い人がいると、驚かされました。地球に優しいとか、エコだのロハスだの、軽々しく口にするのが恥ずかしくなる一冊です。
野生生物と直接に対峙したい
(2008-10-02)
大学在学中に、猟師になりたいと思い立ち、罠猟の免許を取得。たまたまアルバイト先の職場で、ククリワナ猟を35年もやってきた先輩を知り、技術を学ぶ。更に他の名人に鴨の無双網猟も学ぶ。野生動物が多い山間のお堂に住み、日中は運送屋で働く。山村だが、netも使え、10分足らずでコンビニがあり、夜は大形液晶テレビで、お笑い番組を見て、イノシシ肉を入れたインスタントラーメンを食べる現代的生活。
猟期(11月15日〜2月15日)には、毎朝と夕に山に入り、仕掛けた自作の罠を点検。掛かった猪や鹿がいれば、棒で撃ち殺し、庭で解体・精肉し、友に肉料理をふるまう。余った肉は、保存のために燻製やしぐれ煮、油漬け、塩漬けや干肉、骨スープにして、無駄なく美味しく食べる。毛皮も試行錯誤した技術で鞣革にする。鹿の角も利用。動物の命をいただいているという感謝の気持ちで、全て無駄なく利用する。猟期外では、春は山野草を採集。夏は、海浜でマテ貝を取る。川では、鮎やアマゴ、ウナギも取る。海に素潜りし、魚を銛で突きタコを手掴みする。住んでいる所の自然の幸を、自力で獲り、食料にして生きる。自然に感謝し責任をもって、その恵みを無駄なく享受する生活。
ワナの図や獲物処理の写真もあり、現代の猟師の生活と猟の実態が良く判ります。著者の独自さを感じるのは、文明の利器である猟銃による狩りはせず、自作の罠による猟だけをしている。捕らえたカモの鎖骨の間から指を差込み、心臓の血管を指で引きちぎって殺す伝統的な方法に感嘆する点などです。現金化や趣味の為ではなく、著者は、野生動物と直接に対峙する時の感動を求め、伝統的な狩猟の心に浸かり、猟をしているように思えます。
おすすめ度:
立派だなあ
感心しました。
食肉や自然との関係に対して、自分なりに正しいと思えること、こうあったほしいというしっかりとした理念をこの若さで確立している。
また、理念だけの人ならたくさんいるのでしょうが、実際にそれを自分の生き方とするために、たくさんのものを引き受けているんだなぁと。
その引き受けているものも並大抵ではない。殺生、それも殴打であったりの最も残酷とされる方法を敢えて選択することを引き受けている。大変なことですよ。
あっさりと殺し得た事は書いてありますが、必ずしもそんな状況ばかりではなかったのでは。動物の「生きたい、殺すな」という悲鳴を耳にしつつ、右に左に少しでも動くことのできる体の部分をくねらせて生命の維持を求めて逃げようとする動物の体に、何度も殴打したりもあったのではないでしょうか。意図的な動きを失って後も、痙攣しつつ、いろいろなところからにおいを伴った体液をもらし、最後に瞳から命の徴候が失われていくことも目にしたことでしょう。
理念の実現のためにこれだけの事に耐えるというのは本当に立派なことです。
また、これだけのことをした後で、食べるときに、「動物に感謝」することも忘れない。立派です。私なら、「感謝すれば、これだけのことしても許されることになるのかな、たとえば自分や自分の妻子が誰かに滅多打ちにされて殺害された後、感謝して食べてもらえるなら、まあいいか」と思えるのだろうかと、しり込みするところです。
いま一番読むべき系の本。
いい本。
ぜひ買って読んでほしい。
ただし、これは猟師さんの話しだと思ってほしくない。
(でも著者の千松信也さん自身がすんごく面白い人だ。そういうことも読めばわかるはず。)
+
本書は猟師の話しというより、環境や生活や、つまり生きることの本質が書かれていると思った。
著者はそのことを自分の五感で知っている人だということ。
そしてその人が書いている本だということ。
国民の99.9%、いやもっとか?!
もっと多くの日本人は肉がどういう風になっているかを知らない。
ましてや肉は命だからそれがどうなって肉になるか、その光景や感触はもっと知らない。
でもちゃんと肉を食べてる。
そしておいしい! ありがたい!
それはスバラしいんだけど99.9%の側が(つまり我々が)得たのは、ナマナマしい光景や微妙な感触を味あわなくて済むということや食卓に完成したものが整然とならぶ便利さ。
失ったのは生きものたちへの感謝。
これからは様々な地球問題から、足るを知る暮らしにぜったいになっていく。
そして無駄をしないということ。
本書P144(写真あり)の鹿の皮でつくったカバンもそう。
作るって簡単に言うけど作るってことはタイヘンなことだ。
いろんなものを作ってくれてる人に感謝したくなる。
肉などの捕食ということだけではなく、自然からの恵みのいろんなことを知れる本。
カラー写真もある。
少ないけど章の最初に動物とか自然を主体にしてる伊藤存氏の装画もあってそれもいい感じ。
+
この本を思い出したように何度も読みたい。
この本を読んだらすぐさまアイヌの本をたくさん読むといいと思う。
さらに読んで感じたことが深まると思う。
日が暮れても遊びをやめないということ
海の漁師の本はいくつか読んだことがあったが 山の猟師の話は初めてだったので大変興味深く読んだ。(敢えて言うなら 立花隆の「青春漂流」に出てきた鷹匠の話を読んだことがあるくらいだ)
まず 猟師としての細部が面白い。僕自身 猪や鹿を食べることが好きなだけに 読んでいて お腹が減ってきた位である。捕るまでも大変そうだが 捕った後の作業は更に大変そうだ。これは素人ではとても勤まらないと改めて感じた。
次に そもそも柳田國男の本から その世界に入っていたという点に惹かれた。柳田は自分自身が 山中で神隠しになりかけた経験を持ち 山人研究に力を入れた時期がある。本書の著者も おそらくは同じような資質がどこかにあったのではないかと勝手に想像した。著者が猟師になる前に行ったというアジア放浪の話も 無理やりかこつけると 柳田が晩年に唱えた「海上の道」のベクトルの方向にある。もちろん矢印の向きは別だが。
最後に 現代の日本で猟師であることの意義について。この点においては 正直僕に見えてくるものは少なかった。著者は 猟師であることが好きだという 極めて個人的な理由で猟師をやっていると考える。エコロジーの視点は 本書の随所にも出てくるが 本書は エコロジーの思想書でもなければ 実践ガイドでもない。
著者が冒頭で述べている 自然との遊びを 大人になっても続けられているという著者自身の喜びが 本書に流れる「明るさ」なのだと思う。その意味では 夕方 日が暮れても 家に帰らずに遊び続けている子供の姿に重なるものがある。
「遊び続ける子供」とは決して著者を貶めているわけではない。逆だ。「遊び続ける」ことが出来る強さこそが おそらく 著者の身上なのだと思う。そして それは非常に羨ましい。
必見!猟師生活
今の世の中で、漁師はともかく猟師なんて、耳にするのは、赤ずきんちゃんのお話しの中くらいですよね。そうでなければ、山深くのマタギか…普通の会社勤めをしながら、特に気負う事もなく、淡々と兼業猟師(?)の暮らしを続ける著者には、本当に脱帽です。若いのに(若い故か?)凄い人がいると、驚かされました。地球に優しいとか、エコだのロハスだの、軽々しく口にするのが恥ずかしくなる一冊です。
野生生物と直接に対峙したい
大学在学中に、猟師になりたいと思い立ち、罠猟の免許を取得。たまたまアルバイト先の職場で、ククリワナ猟を35年もやってきた先輩を知り、技術を学ぶ。更に他の名人に鴨の無双網猟も学ぶ。野生動物が多い山間のお堂に住み、日中は運送屋で働く。山村だが、netも使え、10分足らずでコンビニがあり、夜は大形液晶テレビで、お笑い番組を見て、イノシシ肉を入れたインスタントラーメンを食べる現代的生活。
猟期(11月15日〜2月15日)には、毎朝と夕に山に入り、仕掛けた自作の罠を点検。掛かった猪や鹿がいれば、棒で撃ち殺し、庭で解体・精肉し、友に肉料理をふるまう。余った肉は、保存のために燻製やしぐれ煮、油漬け、塩漬けや干肉、骨スープにして、無駄なく美味しく食べる。毛皮も試行錯誤した技術で鞣革にする。鹿の角も利用。動物の命をいただいているという感謝の気持ちで、全て無駄なく利用する。猟期外では、春は山野草を採集。夏は、海浜でマテ貝を取る。川では、鮎やアマゴ、ウナギも取る。海に素潜りし、魚を銛で突きタコを手掴みする。住んでいる所の自然の幸を、自力で獲り、食料にして生きる。自然に感謝し責任をもって、その恵みを無駄なく享受する生活。
ワナの図や獲物処理の写真もあり、現代の猟師の生活と猟の実態が良く判ります。著者の独自さを感じるのは、文明の利器である猟銃による狩りはせず、自作の罠による猟だけをしている。捕らえたカモの鎖骨の間から指を差込み、心臓の血管を指で引きちぎって殺す伝統的な方法に感嘆する点などです。現金化や趣味の為ではなく、著者は、野生動物と直接に対峙する時の感動を求め、伝統的な狩猟の心に浸かり、猟をしているように思えます。
