歴史全般 - 和書 - 子供と読む絵本の旅
ローマ人の物語12ー迷走の行く末 十数年前に始まったローマ人の物語が遂に大団円を迎えようとしています。その予感を感じさせる内容となっています。塩野七生さんもかなり迷走しながら今まで走ってきたと思います。しかし遂にその行く末が見えた、あるいはその結末を書く覚悟が出来たのではないでしょうか。
ローマ時代というと大掛かりで大層な歴史と敬遠する方が多いと思いますが、これはそのまま日本のこれからのあり方を示していると思います。ここまで走ってこられた塩野さんの脚力(腕力?)に賞賛を送ります。
ローマ人の物語 (12) -迷走する帝国   ローマ人の物語 (12) -迷走する帝国
塩野 七生
新潮社
おすすめ度:
価格: ¥ 2,940
円 (税込み)
知られぬ歴史 明治維新によって政府はキリスト教礼拝音楽を中心とする外来音楽の流入という事態を受けて、国民の歌を自ら管理するようになる。文部省は「蝶々」などの唱歌という新しい歌を作り出し、国民教育によって浸透させた。その際、キリスト教の影響を避けることができず、唱歌の旋律に賛美歌のものを使用して「むすんでひらいて」「蛍の光」を作り出した。その一方では「さくらさくら」といった擬古曲を作成したり、「かぞえ歌」を利用したりして、国粋音楽文化を保持するという課題にも応えようとした。キリスト教の賛美歌に対抗して浄土真宗では古謡「越天楽今様」を復刻、仏教唱歌を歌う。
国家管理の結果生じた国民の新しい音楽趣味は、明治後半になると「真白き富士の根」のような、江戸から続く俗謡系とは違った新しい流行歌を生み出す。流行歌という国家で管理できない新しい歌が出現すると、対抗処置として学校現場では流行歌を歌うことを禁止した。国家によって管理された「健全なる唱歌」という官製の子供の歌の作詞は、宮中の御歌所につながる歌人たちが独占していたが、大正期に入ると童謡運動という民間からの反撃で「シャボン玉」のような童謡が生まれ、人気を得ると、これ以降、子供の歌の歌詞から和歌が消えてしまう。尋常小学唱歌が作られたのは、流行歌と童謡に対する官側からの反撃としての意味も持ち、その結果「故郷」などの唱歌が生まれる。しかしこうした歌の管理をめぐる官民の争いをよそに、流行歌「真白き富士の根」童謡「シャボン玉」尋常小学唱歌「故郷」のいずれにも賛美歌の影響が及んでいたのだ。
「唱歌」という奇跡 十二の物語―讃美歌と近代化の間で 文春新書 (文春新書)   「唱歌」という奇跡 十二の物語―讃美歌と近代化の間で 文春新書 (文春新書)
安田 寛
文藝春秋
おすすめ度:
価格: ¥ 714
円 (税込み)
要は、朝鮮半島にも政商がいたというだけで、日本の財閥の嚆矢と変わらない。  李氏朝鮮晩年の貴族:両班を中心とした物が、日本の植民地支配に組み込まれ、搾取の道具と化したことは、ブルース、カンミングス「現代朝鮮の歴史」明石書店刊に書かれていますが、典型的な植民地統治で、日本が自慢するような内容ではないと思いますが、資本主義的発展=近代化がすなわち個人の幸福でないことぐらい、今の日本の現状見ればわかりそうなものですが。
 資本主義のゆがみが、日本も韓国も襲っているのだよ!近代化以前の北朝鮮は例外だが。
 「漢江(ハンガン)の奇跡」――韓国が解放後30年間に果した驚異的な経済成長を、世界の学者たちはこう表現した。この奇跡をもたらしたものは何であったか? 本書は、1970年代に「驚嘆する劇的な変化」を目の当りにしたアメリカ人研究者が「その現象の歴史的背景」を、一切の予断と偏見を排して解明した「韓国社会経済史」である。

   韓国の一般的学説は資本主義の「萌芽(メンガ)」を李朝時代に求める。17世紀に芽生えた朝鮮の資本主義は、十分に成長する前に外国の圧力にさらされ、そのため日本の経済進出に耐えきれず、1910年の日韓併合による植民地化によって、1945年まで大きく抑制されていた、というのが、朝鮮半島の南北を問わず、堅固に定着した学説である。この説は「戦後史観」に立つ日本の歴史学者にも堅く信じられている。しかし、本書は「彼らの研究においては、論理より日本の行為を弾劾することで得られる感情的満足のほうが重要視されているようだ」と直言してはばからない。

   1969年に平和部隊の一員として韓国に来た著者は、朴政権下で絶頂期を迎えた近代化推進の姿に驚嘆し、その歴史的背景に興味を抱く。そして東アジアと朝鮮半島の歴史研究に没入していくのだが、その結果知ったのは「資本主義の萌芽が李朝にあったという事実が重要となるのは、偏狭なナショナリズムを正当化するときだけである」ということだった。

   いわゆる「萌芽派」の歴史家たちが用いている証拠はむしろ、彼らが無視する「空白期」、すなわち1867年の「江華条約(日朝修好条約)」による開国から1945年の解放にいたる期間こそ、社会経済史家が本格的に論じるべき時代であることを教えていた。そこで、著者が研究の焦点を向けたのは、韓国資本主義の象徴的存在である「京城(キョンソン)紡織株式会社=京紡(キョンバン)」とその創業一族「高敞(コチャン)の金一族」の歴史である。それは、「京紡は朝鮮史上初の朝鮮資本(かつ朝鮮人経営)による大規模な企業」であり、そこに「人間的なレベルでの韓国資本主義の起源と初期の発展を探ることができる」と考えたからに他ならない。そして著者は、同社に残された豊富な記録文書を精査し、日本が「圧政者であると同時に社会経済の変化の推進者」だったことを立証していくのである。(伊藤延司)

日本帝国の申し子—高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876-1945   日本帝国の申し子—高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876-1945
小谷 まさ代(翻訳)
草思社
おすすめ度:
価格: ¥ 2,520
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手際よくまとめられた、戦国時代の有名合戦に関する通説論破 本書では桶狭間の戦いから大阪冬・夏の陣まで、戦国時代から選ばれた14合戦と、江戸時代初期の島原の乱、それらを合わせて15大合戦と称している。川中島の戦いと島原の乱以外は信長・秀吉・家康の何れかが一方の当事者である合戦が選ばれており、厳島の戦い等は選ばれていない。したがって、本書は戦国時代終盤から江戸時代初期にかけて、合戦の観点から眺めた天下人たちの戦略・戦術の要約ということができるだろう。いかにこれまで通説とされてきたもの(例えば長篠の戦いでの鉄砲三段撃ち対信州騎馬軍団という図式)があやふやな資料や勝者側に都合のよい俗説の流布によって歪められてきたかを知ることができる。本書は同じ著者の「戦国時代の大誤解」と重なる記述が多い。同著では簡単に片付けられていた事項(例えば現実の長篠の合戦に関してわずか4行で攻城戦としか説明されていなかった)が本書では具体的な合戦の様子に関しては地図とともに詳述されている。そして関が原の戦いではあやうく家康が武田勝頼の役を演じさせられる可能性があったことがよくわかった(同時に、石田三成は決して凡将ではなかったことも)。逆に山崎の戦いで天王山の取り合いはなかったということについては合戦以外の項目も数多く取り上げている「戦国時代の大誤解」の方が詳しい。その点、本書は読者に不親切だと思う。

本作は新書で市井の歴史ファン向けには武将たち(姉川の戦いで活躍した高天神衆等、歴史の影に埋もれた人たちにも焦点をあてている)の行動・動機・そして運・不運について真に近い姿を手際よく知ることのできる重宝な本である。しかし、上述の点のように著者等の他の作品にも精通していないとわかりにくい箇所がある点があるのが惜しい。
戦国15大合戦の真相―武将たちはどう戦ったか (平凡社新書)   戦国15大合戦の真相―武将たちはどう戦ったか (平凡社新書)
鈴木 眞哉
平凡社
おすすめ度:
価格: ¥ 798
円 (税込み)
飛鳥-歴史と風土を歩く (岩波新書)   飛鳥-歴史と風土を歩く (岩波新書)
和田 萃
岩波書店
おすすめ度:
価格: ¥ 777
円 (税込み)
剛腕スターリンと青二才ヒトラー 非常に面白く読ませていただきましたが、スターリンの横に置かれたヒトラーのヘタレぶりには笑えました。
筋金入りの革命家として十代の頃から辛酸をなめ続けたスターリンと、売れないアーティストとしてモラトリアムな青春を送ったヒトラー。
レーニン配下のボリシェヴィキの一員としてクーデターに暗躍したスターリンと、産業界の操り人形として政権を取らせてもらったヒトラー。
一世代の間に全く新しい現代国家を築き上げたスターリンと、それまでの数十世代にわたるドイツ文化の偉大な遺産を自分の代でほとんど使い果たしてしまったヒトラー。
軍事・政治・外交だけでなく、文化や芸術にまで注意深く目を配り、すべて自分で仕切り通したスターリンと、面倒くさい案件はすぐに側近に丸投げしてしまったヒトラー。
戦争においては大局の指導に専念し、細かい作戦は将軍たちにぜんぶ任せていたスターリンと、こまかい作戦にいちいちこだわって戦局を悪化させたヒトラー。
毛沢東や金日成などその後のほとんどの独裁者のお手本となり、その影響力は現在まで続いているスターリンと、ホロコーストと敗戦というマイナス要因によってのみ歴史に影響を与えたヒトラー。
そういうわけでヒトラーはただただマヌケな政治家だと思いますが、しかし、もし今後の歴史に登場するかもしれないのはヒトラー型の政治家だと思います(スターリン的人間、「悪の天才」的政治家は前近代的社会からしか生まれないように思うからです)。
よって、わけの分からない差別的な発言をする政治家がいたら、「あいつはマヌケだからしょうがない」と思ったりせず、早めに放逐することが大切ではないでしょうか。

   「世界史的人間ないし時代の英雄とは、洞察力ある人びとだと考えるべきであって、彼らの言動はその時代にあって最上のものなのである」。本書の第1巻第10章「スターリンとヒトラーの比較」で、アラン・ブロックは「世界史的個人」の役割に関するヘーゲルのこの言葉を借りて、両者の信念を語っている。

   アレクサンドロス、カエサル、ナポレオンのような“英雄”が「世界精神を実現する途上で、多くの無垢な花々を踏みにじり、行く手に横たわる多くのものを踏みつぶすのはしかたないことである」とヘーゲルは言った。ヒトラーとスターリンがこの言葉を知っていたかどうかはわからないが、2人に共通する信念を「実によく表している」言葉である、とブロックは言う。
   ヒトラーは自らを、神意を受けて敗戦の屈辱とワイマル時代の堕落からドイツ民族を救うよう求められている存在と考えていた。スターリンが自分の使命と考えたのは、何世紀にもわたって続いたロシアの後進性に終止符を打ち、ロシアを農民社会から近代的工業国に脱皮させると同時に、世界最初の社会主義国家を築くことだった。2人の信念がパラノイア人間の誇大妄想ではなかったことは、それがおぞましいものであったにせよ、彼らが歴史に確かな足跡を残したことで明らかだ。

   ヒトラーは「20世紀の最も酸鼻な物語」というべきナチ帝国を築き、スターリンは「粛正」と「収容所列島」という血の凍るような言葉で象徴されるソビエト帝国を築き上げた。20世紀はこの2大恐怖帝国の興亡を抜きに語ることはできない。その意味で、2人はまさしく「世界史的個人」だった。

   彼らはいったい、どのような経緯からこのような信念をもつにいたったのだろうか。ブロックは、ヨーロッパの西と東に現れた巨大な同時代人の出自、人間形成の過程、権力掌握に至る闘争を克明にたどることによって、それを探り出そうと試みている。しかし、結論は「いまだに謎」であった。明らかなのは、2人はネロのような突発的暴君ではないということである。ヘーゲル流にいうなら「いまだ地下にひそむ内面的な精神が、種子の殻を叩くようにして外界を叩き、外界をこわす」ような歴史的人間であり、「どちらもヨーロッパの既存秩序にたいする政治的・思想的挑戦だった」とブロックは言うのである。(伊藤延司)
対比列伝ヒトラーとスターリン〈全三冊〉 第二巻   対比列伝ヒトラーとスターリン〈全三冊〉 第二巻
鈴木 主税(写真)
草思社
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価格: ¥ 4,095
円 (税込み)
音楽と会計  欧州での中世から近世へと移行するに際し 物事の「数量化」と「視覚化」が大きな役割を果たした点を解明する一冊である。

 既に「数量化」「視覚化」を前提とした現代に生まれた小生ゆえ 「当たり前」であることが 実は「革命」であったという本書は 目からうろこが落ちる思いである。歴史の本を読む楽しさの一つは 自分が持っている常識が いかなる経緯で常識となっていったのかが分かる点であると思っている。

 また 本書の特色としては 数学、音楽、絵画、会計という 現代人から見ると全く異なる世界を 横串で突き刺し それらが誕生した際にあった共通の心性を見事に炙り出している点にある。会計と音楽を貫く時代の精神がかつてあったという点は 「現代会計入門」とかいう本をたまに読まざるを得ない サラリーマンたる小生にしても 一服の清涼感である。音楽を聴くように会計を勉強すればよいのだ。

 仕事に直接関係ない本を読むことは 気分転換になるし 勉強にもなる。しかし それ以上に 特に このような本を読んでいると 日々の仕事に潜んでいる 歴史、人間の「精神」が見えてくることがある。そうなると仕事も馬鹿にできない。仕事の先に見えてくる「精神」。そんなものも信じているのが若干楽観的な小生ではある。

数量化革命   数量化革命
小沢 千重子(翻訳)
紀伊国屋書店
おすすめ度:
価格: ¥ 3,360
円 (税込み)
学校のテキストにも使えそう 内容的には、比較的最近出版され、新たに出てきた資料も加味されている分、
イデオロギーの偏りが少ないバランスの取れた記述がされている。
構成的には、冷戦の「起源・展開・終焉」をそれぞれ「国内と国外」とに
分けて書かれている。そのため、リファレンスとしても使いやすい。

冷戦史 -その起源・展開・終焉と日本-   冷戦史 -その起源・展開・終焉と日本-
松岡 完
広瀬 佳一
竹中 佳彦
同文舘出版
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価格: ¥ 3,045
円 (税込み)
他にない切り口! この本は面白いです。他にない切り口でしかも「まとも」です。こう考えたら他の本は「贔屓の引き倒し路線」が多いですからね。特に近藤が「幕府が攘夷を決行する」ことを最上級の命題と考えていて、そこから時代の変遷と共に自分の視野が広がり、自分の考えに変化が生じることとその命題との「調和」に様々な葛藤が見られるのが非常に興味深い。初めから「何が何でも徳川幕府側だ、難しいことは俺にはわからん」という路線でないところが他の書物では切り捨てられている視点で実に新鮮です。まあこの作者くらいの知識と頭脳がないと無理な切り口であるような気がします。この作者の他の作品も読んでみたいと思います。
新選組 (岩波新書)   新選組 (岩波新書)
松浦 玲
岩波書店
おすすめ度:
価格: ¥ 777
円 (税込み)
「文明史観」で説明するのは、困難であろう。  読後、正直言って「文明史観」というものが理解できないので、それを前提とした論述は、なおさらわからないということに気がついた。
 おそらく、国家の存立の際の文明のありようを理解しなければ、その国の本当の姿は理解できないということに尽きるのであろう。
 日本の国の生い立ちを理解しないで、(現代の)日本を理解できるはずはない・・・というのは、充分理解できる。

 しかし、そうであれば、歴史の「通説」である世界四大文明の国々の現在は、どうなのか?インカ帝国やその他の古代文明のありようはどうなのか?

 日本の生い立ちから現在までの歴史を日本の誕生の「文明史観」で説明するのは無理でしょう。この立場を極端に推し進めれば、中東や中国は日本より進んでいるし、アメリカ合衆国は、残念ながら野蛮な国(一部当たっているとしても)でおしまいになってしまう。

 ちょいと強引過ぎましたね。

国民の文明史   国民の文明史
中西 輝政
扶桑社
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価格: ¥ 1,800
円 (税込み)
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