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惚れ惚れする文章。(あえて「間違い」も指摘)
あいかわらず、素晴らしい文章です。
いちばん好きなところを挙げるならエピローグの、この辺。 「私たちにとっての媒体とは何か。それは、時間である、と私は思う。……つまり時間とは生命そのもののことである。生命の律動が時間を作り出しているにもかかわらず、私たちは時間の実在を知覚することができない。」 「時間の存在を、時間の流れを知るたったひとつの行為がある。時間を追い越せばよい。巡航する時間を一瞬でも、追い越すことができれば、その瞬間、私たちは時間の存在を知ることができる。時間の風圧を感じることができる。それが加速覚に他ならない。」 しかし、凡ミスを指摘させて頂きたい。 「加速覚は身体のどこで検出されているのか。それはなお明らかでない。」 「聴覚は、鼓膜に連結された小骨の先にある三半規管が振動を感受することによる。」 ここは「間違い」。 三半規管こそが、「回転加速度」を感知する部位。 「直線加速度」を感知する部位として「卵形嚢」「球形嚢」という場所がある。はず。 聴覚は三半規管ではなくて、「蝸牛」と呼ばれるカタツムリの殻状の所で感知している。 あと、 「煩雑になるのでその名前を挙げることはしなかったが、細胞にはいちいちその発見者にちなんだ名前がつかれている。医学部に入ると初年度の解剖学の時間にそれらを丸暗記させられる。」(P.159) とあるが、解剖学の講義は3年次、早くて2年次から始まるのが現在の医学部のカリキュラム。 でも、「凡ミス」はあるとしても、良い本であることは間違いないです。 同じことを書いたとして、ここまで美しく書ける著者は他に居ないと思うから。 |
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